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2005/01/30

自転車

tuukinnで通勤を始めた。
実は自転車通勤については数年前にやっていた。当時は西荻窪~多摩永山、それから西荻窪~九段と約3年くらいやっていた、その次に異動した先が片道35キロくらい走ることになってしまい、体力に限界を感じてやらなくなったという経緯があった。今回の勤務先は自宅からはおそらく40キロ弱ありそうで、異動したときは自転車通勤は無理だと思っていた。

 それがなぜやる気になったかというと、僕の前に座っている同僚が実は自転車通勤をしているのだ、彼は自宅から会社の全てを走っているわけではなく、途中の駅まで自転車に乗るというやり方をしている。それに僕もあやかって途中駅まで走るという方法ならできるかなと思い始めたのがきっかけだ。

 全てを走ると思わなければなんとか走れそうだし、途中までとはいえ、前の西荻窪~九段に匹敵する距離を走ることになる。物事前向きに検討し始めるといくつも解決策があることが見えてきた。
 
 例えば、使う自転車だが、いつも乗っているロードレーサーだと、駅に留めると盗難の危険があるなと思っていたけど、実は実家に盗まれたらあきらめられそうな古い自転車があることに気が付いたりとか、途中駅までだと、ちょっと遠回りすればサイクリングコースで安全に走れることとか、全てが自転車通勤に向けて動きはじめる気がしてきた。

 なんでもやる気だなと感じさせる出来事だった。さてあとは僕のやる気がいつまで続くかだけだな。

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2005/01/29

車検完了

20050126_00320050126_004しました。費用は
法定費用 \24840 
整備料   \20000 
代行料   \10000
以外にリフレクター、インナーバッフル、ライトスイッチの加工が合計約 \3600 
合計約\60000で完了しました。ブレーキフルードはサービスで前後交換してもらえました。

費用的には格安でできたと思いますが、これからキチンと整備がされているかがでるところだと思います。

マフラーについては、音は大変静かになっちゃいました。結果的に、インナーバッフルと通常のバッフルの2段で(グラスウールを詰めなくても)すんだようでした。バッフルを入れたら若干低速トルクが上がったような気がしないでもないです。

それにしても、ただバイク(車)をもっているだけで、2年に一回こんだけ費用がかかるってのはなんか変な気がするな。整備内容を確認して安全を確保するっていうのは理解できるけど、万人がもっと手軽に車検を受けれて、値段ももっと安く済むっていうシステムが必要じゃないかなって感じました。

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2005/01/28

士魂商才

テレビで日本初のデパートを開いた人の特集をやっていた。「利よりも義を重んじる」という考え方をもって、三越を経営した人だそうだ。
今の時代に通じるかわからないけど、感動した。

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2005/01/27

丙午飲み会

nomi会社のおない年の面々と飲んだ。
いろんなおない年がいるもんだ。

会社で普段やりとりしている他部門に偶然自分と同じ年の人達が何人かいるのがわかった。ちょっと前から飲もうという約束をしていたが、なかなか実行されずじまいだった。今日思いつきで飲むことになった。

メンバーは男3人に女2人。世帯持ち3人に独身2人。同じ年だけど、自分と同期入社は一人もいない。
それぞれ、いろんな部署でがんばっているんだと思う。また次回開催を約束して解散になった。

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2005/01/26

アラビアのロレンス

って映画がある。ロレンスはご存知のとおり実在の人物で第1次世界大戦の時のイギリスの将校。

 作品の奥底にある本当の意味は難しい内容なのかも知れないけど、僕の印象に残っているのは最初と最後のシーンだ。
実はロレンスはバイク事故で死んでいる。そのロレンスが事故死するシーンから映画が始まる。いつものようにバイクに乗って、普通に走って転倒するんだったと思う。それが映画の始まりのシーンだ。
 逆に映画の最後のシーンはロレンスがアラブ解放という自分の目標を達成できずに失意のもとアラビア戦線をさる時に移動中の車の中から目の前を通る軍用バイクを見つめるというシーンだったと思う。この最初と最後にバイクが出るというのを監督が意識的にやっているのかはわからないけど、僕には失意の中でロレンスがぼやっと見ていたバイクが冒頭のバイク事故の予兆に思えてならない。

 バイクは危険な乗り物だと思うし、いつもその影には死が見え隠れしているところがあるかも知れない。でもそういうところに生命の重要さを感じさせてくれるところもあるのではと思う。ロレンスが何を思い、当時世界最速と言われたブラフシューペリアに乗っていたかはわからないけど、生命の輝きを感じるためにバイクに乗っていたのではないかなって僕には思える。

 バイクは楽しい。でもいつもその楽しさと裏腹に影がある。影があるからいっそう明るい部分が輝いて見えるんだと思う。その影の部分を忘れないようにこれからも乗っていけたらいいなぁと思う。

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2005/01/24

行列ができる・・・

法律相談所という番組を僕はよく見ている。内容は日常おこりうる事件を題材に4人の弁護士が判決内容を推定するというようなもの。司会は紳介でゲストとのからみが面白い。

4人の弁護士はそれぞれ個性豊かな弁護士で、ひとつのテーマで大体答えが分かれる。その後にそのテーマとしての番組の見解が流れるというものだが、ここで僕がずっと気になっていることがある。

ひとつのテーマについて4人の弁護士のうち2人が賛成し、残りの2人が反対しても番組の判定としてはその確率を50%としないで、60%にするのである。

ここに仮説がある、以下この番組を見た人でないと理解できません。

仮説①
賛成に北村弁護士と住田弁護士が入った場合は10%加算される

仮説②
反対に丸山弁護士と橋下弁護士がともに入った場合には10%減算される。

仮説③
判定内容を総括する別の判断者がいる。

さて、あなたの真実は?(笑)

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2005/01/23

車検か

mafura(写真は本編に無関係です)

12Rの2回目の車検のために今日ショップにバイクを預けてきた。去年引っ越したってことで、買ったところではないショップにお願いすることにしたので、いろいろと細かいチェックがあった。
 
 マフラーが換えてあるんで、触媒の有無とか騒音規制とかチェックされた。触媒は2000年モデルまでは要らなくてOKという見解であったが、騒音規制は96dBってことでその場で測定することになった。一応バッフルはつけてきたんで、大丈夫と思っていたら・・・・・。

なんと116dBとか出てしまった(笑)

えぇ!ってことは通常はもっと出てるってことか。こんないい音なのにな~
エキパイの終わりのところにバッフルをもう1個つけるって方針で対応することになってしまった。いつものショップだったらこんな面倒なことはしなくてもOKなんだろうな~。

でも実は、96dBまでおとされた12Rの音ってすっごく興味があったりして(笑)

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2005/01/22

怒ってしまった。

お店のあんちゃんを。
僕は対応のなっていない店の人にすぐに苦情を言ってしまう嫌なオヤジだ。

今日もバイク屋で車検の対応がなっていないと怒ってしまった。
あ~あ、怒っても何も得るものが無いのにな。 反省。

怒るエネルギーがあるってことはまだまだ、生きるエネルギーがあるってことだろうが、もっと意味ある前向きなことにそのエネルギーを使わないとな。

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すげぇ~

なぁと感動した。
実は今朝、テレビを見ていたら、なんか去年スポーツ界で活躍した人を表彰する催しがあったと芸能ニュースでやっていた。その中で特別表彰を受けたスポーツマンがいた。

三浦敬三 さんだ

プロスキーヤー三浦雄一郎のオヤジだ。そのじいさんは100歳にしてまだ現役プロスキーヤーで、そのニュースの中で表彰された挨拶が放送されていたのだが、その挨拶がすげぇ~。

『もっともっとスキーをうまくなって・・・・』

100歳のじじいで、かかなか言えねぇなこのセリフは。でもこうありたいよね。すべてにおいて。

可能性って年齢とともに縮小しているかもしれない。でもその大部分は自分自身が勝手に縮小しているって決め付けていることが多いかも知れないな。

このじいさんに見習わなきゃってつくづく思った。

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2005/01/20

忙し!

かった昨日は。明日の朝に残りの作業はすることにしよう。

それにしても遅い電車でも混んでいるもんだな。

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2005/01/19

心に残った映画の中のバイク(ターミネーター)

ターミネーターの1作目の中でターミネーター(シュワルツネッガー)がバイクで、サラ・コナーを追いかけるシーンがある。このスタートのところで、シュワちゃんが古ぼけたバイクでアクセルターンを決めるシーンが僕の心に残る映画のワンシーンのひとつ。

 映画の中ではあまりに簡単にやっちゃっているのだが、このバイクはおそらくCB750Kだ!すっげー!って驚嘆した。おそらく250キロ以上あるバイクでキュルルって回しちゃっている。しかも結構大きく振り回すような感じで回しているのがスゴイ。僕がアクセルターンを決めれたのはDJ-1かDT125くらいしかない(笑)。なんかの本でアクセルターンが決められるのは体重の3倍程度までと読んだことがあるが、確かにシュワちゃんが90キロくらいあれば750Kのアクセルターンも可能だよな。

 ターミネーターの1作目はもう20年くらい前のシュワルツネッガーの出世作。こんなに売れるとは思わなかっただろうから、おそらく制作費も抑えて、単純に古くて安いバイクをスタント用に使っただけだと思うけど、このシーンをみて感激したCBファンも多いんじゃないかな。

 2作目以降もハーレーのスタントシーンとかあるけど、特撮だし、どうもピンとこない。やはり革ジャンにCB750でアクセルターンこれしかないな。
 

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2005/01/18

アメリカどうすんの?

きっとそうなんだろうなって思っていたら、こんなの書いている人がいた。
やっぱ、そうだよな。なんかベトナムと一緒だろ。世界の警察気取りはもうやめろよ。

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2005/01/16

12Rつながり

12Rのオナーズクラブ(200overs)のHPでひょんなことから知り合った人が、実は住まいが非常に近いことがわかった。ネット上のやり取りでその方(K氏)とはバイク以外にも共通点があることがわかって、近くでオフ会をやることになって昨日開催。

 いや~飲んだ。久しぶりに日本酒をあんなに飲んでしまった。僕と共通点があるのではとK氏がつれてきたI氏は自転車に乗られているということで、そのあたりの話もネタになった。

 仕事以外でああいうつながりがあるってのいいなぁ。しかし、今朝はつらい。飲みすぎた(笑)

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2005/01/15

震災から10年

って特集をテレビでやっていた。ある記者が神戸の震災の時に取材した被災者が今はどういう暮らしをしているのかを追跡するという内容だ。
 その中で、取材された一人が当時を回想しつつ、「町はすごくきれいになったけど、あのときに比べて人と人とのつながりは希薄になった」というようなことを話していた。話しているのは60過ぎくらいの男性で、その人は当時、作り酒屋の工場長をしていて、被災者に工場のスペースを提供して、毎晩炊き出しやらをやっていたそうだ。
 町はどんどん新しくなるけど、そこに入ってくるのは元からいた人じゃなくって、新たに外から入ってきた人達ばかり、復興を目指したその方は、なんかやるせなかったのかも知れない。そのおじさんが目に涙をうかべつつ、そんな話をされている脇から、その方の奥さんと思われる人が一言いった。「復興してよかったじゃない。まちってそういうもんだよ。」
 きっと町っていう構造から考えれば、新しい人も入ってきて、そこで更に新しい人の輪ができるのが一番いいのだと思う。そのおじさんの涙は、過ぎ去った当時を懐かしむ涙なのか、自分が目指した復興と異なってしまった現在に無念を抱く涙なのかは僕にはわからないが、いろいろ考えさせられる内容だった。

 

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2005/01/14

年賀状

が今年は遅くまでくる、くる。去年引っ越したってこともあって、昔の住所に出した人の分が遅れて届いているというのがほとんどなんだけど、中にはまともに遅く出した人もいるみたい。それにしても郵政公社になったってのも関係あんのかな。
本日最後の年賀状の返事を出します。もうお年玉って発表になったっけか?

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2005/01/13

ラップタイム

dai1 写真はapeでの北ショートコース走行
 


 

 先日モテギのスポーツ走行のことを書いていたら、モテギでレース参戦をしているという方からの書き込みがあった。その方のタイムは2分4秒!で現在の僕の2分26秒からみるとまさに雲上の人だ。にもかかわらず、丁寧に走り方についてアドバイスして頂けた。既に走りの部分、部分に目を向けていた僕にとってはその方のもっとコース全体のラインとかをみればタイムはぐっと縮まるっていうアドバイスは非常に参考になるとともに、目から鱗だった。

 きっとその方にもわずかな期間ではあっただろうが、僕と同じ頃があって、練習と努力があって現在のタイムになったのだろうと思う。

 サーキットにしろ、仕事にしろ、すっごい人はたくさんいる。それを能力とか才能とか一言で片付けてしまえば簡単だけど、きっと目標を目指して努力をし続ける姿勢こそが才能であり、能力なのかもしれないな。

 これまで僕の目標は2分10秒台に入ることだったけど、2分一桁を目指そうと思った。それには一歩一歩前の自分より少しでも速くなることが第一。

 目標は高くだな。っていうと玉田のコースレコード前人未踏の1分46秒を目指すのかな(笑)。

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2005/01/11

オイルフィルター

SEIBI年末にオイル交換をした。
フィルターも換えようと思い、ショップでフィルターを注文した。12R用はパーツナンバー#1070で1800円。外見は全く同じだがGPZ250用はパーツナンバー#1002で1000円だった。12Rの場合、フィルターは特別で純正品を使った方がいいという情報がユーザー間でやり取りされていて、僕は迷わず#1070を注文した。

 ところが、ショップに届いたのは#1002で、ショップからの説明ではメーカーからの指示とのことだった。すなわち12Rにおいても#1002を用いても問題ないとメーカーが判断しているということだと思う。

 で、当然値段は1000円になるのだろうと思っていたら、値段は#1070と同じ1800円!僕はそこのショップで怒った!最初に注文するときに番号と値段を確認してあえて高いほうを頼んだのに、安いほうでも事足りるとの判断がメーカーであって実際に届いたのは安いほうだ。それにもかかわらず、高い方を注文しているから値段が高い方でいいとは何事か!その差額は返せ!

 ショップの対応はパーツナンバーは日々変わっているから、今は元の#1070が#1002として売られているということなのだとのことだったが、なんだかよくわからん。まぁ悪いのはショップではなく、パーツを卸しているメーカーの方かも知れんけど。そのショップのカウンターで他の多くのお客さんがいるなか、僕は冷静さを保とうと努力しつつも怒鳴りちらして、周囲の客の注目を集めていたと思う。(笑)

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2005/01/10

成人式

ってのを僕は経験しなかった。成人式ってのは地元の公共団体から案内状みたいのがくるのでしょうかね?
公共団体によって、成人式の対象範囲の考え方が二通りあるみたいだ。ひとつはその年に20歳になる人を集めて成人式を行うところ。もうひとつがその前の年に20歳になった人を集めて成人式を行うところ。僕は丁度19歳の時に後者に住んでいて、20歳の時に前者に引っ越したので、結局成人式の案内状をもらうことが無かった。

 逆にときを同じくして前者から後者に引っ越した人は2回成人式ができるってことなのかな?なぞは深まるばかりだ(笑)

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初スキー

今シーズン初めてのスキーに行ってきました。
場所は田代・神楽・みつまたスキー場です。例年だとこのくらいの時期に5日くらいは滑っているのだけど、今シーズンはやっと第1回です。
天気は吹雪でしたが、雪質はパウダーで、コンディションはまぁまぁでした。詳細は別途HPでアップします。

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2005/01/09

僕のバイク歴⑥ DT125

 札幌での学生時代も後半に入っていた頃。後輩からこのバイク買った。確かDTが水冷化した最初のモデルだったから、おそらく1982年型。僕のところにきたのは1989年くらいかな。なんと7000円!で買った。当初の予算は1万円だったから。あまった3000円で生協の売買コーナーに出ていたオフロードブーツを買って、1万円でにわかオフローダーが完成した(笑)

 札幌は山が近くまで迫っていたから走る場所には事欠かなかった。まだ春先に山に入って、残雪の上を走っていたら滑って谷に落ちたりとか、川を渡ろうと走行中に倒して、一時間キックしまくりとか、何度かバイクを山に捨てて帰ろうと思ったこともあったけど、125ccの軽さのおかげでなんとかバイクを持ち上げて帰ってきた。

 林道走行ってのは僕に新しいバイクの魅力を教えてくれた。 大浜ドリームビーチで開催されたエンデューロにも参加したし、ほんと安くて楽しめたバイクだった。

 札幌を立つとき、近所のカタナ乗りの飯島さんに譲ってきた。(当然ただ!)

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2005/01/08

僕のバイク歴⑤ GSX400FSインパルス

impulseこのバイクを初めてみたのは、バイクの免許をとるキッカケとなった雑誌ミスターバイクの1982年7月号だと思う。なんかタンクからテールカウルに流れるラインがすっごくかっこいいと思った。当時としては珍しい集合管が標準装備になっていて、これまたいいなぁと思った。
 でも高校の時は前にも書いたとおりVTを買ったから買えなかった。高校卒業して北海道に渡って、新しいバイクを探そうと思っていたとき。北海道だけのバイク雑誌の個人売買コーナーに400FSを見つけた。走行は4000kmくらいで、値段は21万円だった。
 札幌から電車に揺られて1時間くらいの小さな町までバイクを見に行って即決。インパルスは僕のところにきた。
僕的には初めての集合管で今にして思うと大した音でもないが、当時はすっごくこの音を誇らしげに思えていた。
 6月のある晴れた日、初めて半袖でバイクに乗れるようになった日。初めて支笏湖に行く途中の道で初めてねずみ取りにつかまった。でこれまた初めての家庭裁判所で初めての免停を経験した。
 
 僕が乗ったインパルスは黒赤でヨシムラカラーってやつだ。これ以外にも赤白、青白、しばらくして単色の赤、黒が出た。エンジンも黒塗りでホイールは一部ゴールドが入っていて、しかもシングルシート風シート。自己満足の中ではすっごくしびれていた。

あれだけあこがれたインパルスであったが、わずか3ヶ月のって、友人に売ってしまった。

限定解除を目指したからだ。気持ちはもうリッターバイクに向かっていた。

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2005/01/07

ブログブーム

office今、僕の職場の周囲でブログ、ホームページブームが起きている。
僕が去年ここに異動してきてから、ホームページを開設した人1名。ブログを開設した人2名。開設準備中2名といったところです。

けっこう、みんなかっこいい内容を書こうとしているみたいだし、実際書いている人もいる。いや~ほんとスゴイ。
先行した僕としては立場が無い。まぁ、気にせず書いていくかなっと。

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2005/01/04

僕のバイク歴④ VT250F

16歳で初めて免許をとって半年くらいして、コンビニのバイトでためたお金が少しできたので、このバイクを買った。買った理由は簡単。当時の選択肢は250ならRZかVTくらいしかなかった。その中で友人がRZを買って、僕としては友人が買わない方を買ったというだけ。

しばらくしてから250ガンマとか、FWもあったけど、ちょっと僕には高すぎた。でも250ガンマは高校の近くのバイク屋に授業をサボって見に行った。なんかこんなのってあまり感動は無かったけど、雑誌とかが、タコメーターが3000以下がないとか、アルミフレームだとか騒いでいて、次第にすげーなって思い始めた気がする。

VTは良く走った。当時の僕は排気量の差というのをまだ理解していなくて、(なんせ250と教習所のホークしか乗っていないのだから)無謀なシグナルGPをよく挑んでいた。例えばGPZ1100とか。当然あっさり負けていたけど、あるとき二本だしマフラーの古そうなバイクが横にならんで、こんな旧車なら勝てると思ったらあっというまにちぎられたことがあった。それが後から650CCのバイク(W1)だと分って、排気量は重要なファクターであるしみじみとわかってきた。

VTでは、よく夜の1国を走って横浜とかへ行った。大黒埠頭ではまだベイブリッジの工事前で、ゼロヨンが開催されていたし、港の見える丘公園も族の溜まり場だった。第三京浜で最高速度実験をやって初めて160キロくらいで走った時、怖かったな。その自分としては限界状態の時に接触しそうな間隔でBMWに抜かされたりとか、今思うと大した経験ではないが、初心者の僕にしてみれば、ほんといろいろ経験させてもらった。

そんなVTは高三の終わりに浪人が決定して売ってしまった。確か田園調布のチェッカーモータースで17万円になった。

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2005/01/03

あけましておめでとうございます。

ちょっと遅いかな。今年も頑張りましょう。
毎年年始は立派なことを考えるもんだけど、今年も正月からちょっと外出してまして、いろいろと考えました。
その間考えたこと。

①名古屋は元気だ。
②津波は外国語にもなっているけど、もともと津波の概念は海外になかったのか?
③なんでも思いっきりやってみよう。
④世界の人が幸せになってほしい。

その他本人しか理解できないこと多数。

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僕のバイク歴③ ZX12R

zx12ブラックバードが盗まれたのは2000年11月。バイク界では2001年から最高速規制が始まるとのことで2000年モデルが最後の世界最速モデルと言われていた。というわけで、Hayabusa、ZX12Rを検討のうえ、ブラックバードの盗難後10日目にしてZX12Rを契約した。

買ったときには実は実車を見たことが無かった。とにかく速いってことが買った理由だから。11月に契約して、納車されたのは翌年の2月。長かったな。

世界最速の鳴り物入りで僕のところにきた12Rはブラックバードに比べて、前回転域において上回っているように思えた。エンジンフィーリング的には買って正解だったと感じられた。ところが、峠は攻めれなかった。怖くて寝かせられない。当分そういう状態が続いたが、サスをいじるということを覚えてから変わった。ちょっと柔くするとすっごく走りやすい。

12Rを買って最初の年、神戸までツーリングした。

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